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命の尺度
■ 生まれる権利 ■

※ショッキングな内容となります。苦手な方は見ないで下さい。

なんつって見ない人は殆ど居ないだろうけどね(゚∀゚)



仕事の合間に最近は随分とネットサーフィンを楽しむようになりました。そんなオレの巡回サイトの中に「X51.ORG」というサイトがあります。世界のニュースを配信しているサイトなんですが配信する内容が偏っています。奇形児やUMA、超常現象関連のニュースばかり配信するのです。最近テレビで取り上げられるようになった「X線の目をもつ少女」などはかなり前からここで紹介されてきました。ちょっとグロ画像も多いのですが神秘的なことばかりで生物の潜在能力についてかんがえさせられるニュースばかりなのでよく見ています。

そこでカテゴリ「LOVE」である少女が紹介されました。名前はジュリアナちゃん。幸せな家族に囲まれてみんなに愛されて育っています。しかしジュリアナちゃんは未だ気付いていないと思いますが一般の人とジュリアナちゃんは大きな相違点があるのです。

顔が無い。

表現としては適切ではないのですが生まれつき頭蓋骨の顔部分の骨が大きく欠損しその顔は一般的な人間のソレとは似ても似つかない顔なのです。上顎、頬骨、眼窩、そして耳骨が無く頭蓋骨の40%が無いのです。上顎が無いので口は閉じられません。食べ物も摂取できません。眼窩が無いので目は顔に納まらず飛び出た形です。耳骨が無いので左右の耳は互い違いについています。

>> ジュリアナちゃんの顔(画像)
>> ジュリアナちゃんの顔(動画)
※大変ショッキングです。

しかしビデオを見てもらえば解るとおりしぐさは大変可愛く脳や体に異常は見られません。両親や姉はジュリアナちゃんを普通の子供として扱い幸せになることを願っているそうです。顔面骨の製作も既に開始されており手術で徐々に通常の人間の顔に近づけるようです。

原因はトリーチャー・コリンズ症候群という病気で発病の原因はお父さんにありそうです。お父さんは湾岸戦争帰還兵。そうです、劣化ウラン弾を使用していたのです。湾岸戦争で問題になった劣化ウラン弾はそのなのとおり核廃棄物から作成される弾頭で硬度が非常に高いので湾岸戦争では機関銃などの弾頭に使用されました。しかしシーリングや洗浄が完璧ではなく使用した兵士や使用した大地が被爆しました。その湾岸戦争の帰還兵の中でしばしばこのトリーチャー・コリンズ症候群の子供が生まれているのです。

このニュースは賛否両論です。インタビューを受けると同時に両親は世界に手術のための募金を集めています。この行為を売名行為と疑う人たちがいるのです。

先ほど紹介したページのコメント欄を見ていただければこのニュースに対する日本人の反応がよく解ります。ただ膨大な量なので顕著なものだけ挙げてみようと思います。

■ 果たしてこのまま成人し、老衰で寿命を終えることが可能なのかとも思いますが、意味の無いことではないのでしょうが、ここまで悲しみと苦労と他への無償の奉仕と愛を強要しかねない存在を世に放つというのも、また或る意味一つの悪徳なのではないかと考えられないこともないのではないかと、ふと感じました。

■ お父さんの愛に感動しました。「きもちわるい」って言ってしまいそうな自分が嫌になりました。

■ 正直なところ、下手に精神が育つ前に殺しておけば良かったよね。
生きてれば幸せって考え方は残酷ですよ。


■ 自分の置かれた状況で頑張って生きていくのが人間だよ。
ハンデあればあるほど生きがいがあるってもんだよ。
この子が必死に生きようとしてる姿が将来あればそれがどれだけの人を救うか?
この偉大さは計り知れないな。


彼女の出生の是非についてはコメントの早い段階でかなり意見が割れています。出産前に解っていたのだから堕胎するべきだった?生んで幸せになれるように勤めるべき?答えは出ないのですが多くの人の様々な意見が飛び交います。アメリカでは実際に出産前に解る障害を見過ごして生まれた盲目の少年が母親の苦労を賠償して欲しいと検査医を相手に訴訟を起こし勝っています。要するに自分を生んだことを裁判で批判しているのです。勿論こんな問題は当人でしかわからないし議論しても意味は無いのだけれどもみんな自分の子供だったらどうしよう、という考えの元議論しているようです。オレ自身、そう仮定してかんがえても答えが出ません。生むべきなのか、殺すべきなのか。

そしてコメント欄の議論は次第にあらぬ方向に進みます。両親の募金活動について、です。売名行為だと言い張る人も居ました。要約するとこの両親はジュリアナちゃんを育てる気は無い、と。今お金を集めるだけ集めて時期がきたら殺す。そして集まったお金で悲劇面して生活をしていく、と。飛躍しすぎで信用に値しない推測です。しかし確かにそういう事も考えられるんですよね。ただオレはビデオのインタビューに答える父親の泣いているんだか微笑んでいるんだかわからない表情をウソだとは思えません。

そしてこんな議論が巻き起こります。発端は一人の人のコメントです。


382 NONAME
正直この子の為に募金をしようと思う方の気が知れません。「命の重さは平等」なのではないのですか?
この子の延命の為の資金と同じだけの資金をもってすれば、どれだけ多くの人間の命を救うことができるのか、そんな事は言われずとも多くの人が承知していることでしょう?ならば何故この子に募金したがるのか?
これは命の選択にならないのか?「命の重さは平等」を否定にならないのか?
きっとこれは、自己の愉悦の為の、自己の欲求を満足させる為の思考なのだろう。
と思うしかないのです。


要するに10000円で一人を救うのではなく命は平等なのだから10000円で10000人救ったほうがコストパフォーマンスがよい、ということらしいです。この人が「コストパフォーマンス」という単語を使ったのはまずいと思いますが大変な議論に発展します。

■ 目の前で困ってる人間を助ける人をなぜ蔑む、自分が苦しいとき手を差し伸べてくれる人に「こんなことですべての人が救えると思ってるのか?俺を一生救ってくれるのか?ん?」と説教するのか?

■ 『アフリカでは毎日何人もの人が飢え死にしています、募金をお願いします』
「いや、餓死はアフリカだけじゃないでしょ。北朝鮮とかアフガンにも大変な人はいるのだから募金しない」
それじゃなんの解決にもならないと思いませんか?
all or nothingの考えでは結局何も行動できない事になってしまいます。
1つずつ。一歩ずつでも良いじゃありませんか。
また、今まであまり募金とかしなかった人でも、ジュリアナちゃんに募金をしたとすると、異国の困ってる人たちへの「心配すること、考えることを」の感受性が研ぎ澄まされることになります。
今まで無視していた道端で募金箱をかかえた人に募金をするようになるかもしれません。
第一歩を踏み出すことにより、もっといろいろと歩けるようになるんです。たくさんの人を救っていく可能性が出るんです。


皆さんはどう思います?いまここでジュリアナちゃんのことを知ってしまった。そして手元には10000円がある。募金をするとしたらジュリアナちゃんに全てつぎ込むか、それとも街角の募金箱に全て入れるか。難しい問題ですよね。確かに救われる人間が多いほうがコストパフォーマンスはいいでしょう。しかし今我々は一人の重病を抱えた仕草の愛くるしい少女の存在を知ってしまった。どちらに救いの手を差し伸べるべきなのか。

実際は各人が思ったほうに募金するのが当然で議論の意味は無いかもしれませんがこの議論を見てて考えさせられました。大変な抗議を受けていた382さんの意見にオレは賛同します。そのとおりだと思います。救われる命に重い軽いは無いはずです。しかもジュリアナちゃんの両親はこの苦労を背負わない選択肢も持っていたはずです。しかし苦労する選択肢を選んだ。大変勇気のいることです。この勇気と決意があれば幸せな家庭は築けるでしょう。しかし金銭的な問題を考えないのは親としてはどうかと思います。多額のお金が成長に必要と解っていながら募金に頼らないとカバーできない財政力。子供を幸せに導くだけの財産が無いのであれば無責任に生むことはかえって子供のためにならないと思います。

とはいいつつも命を殺すことは重大な罪で生まれてくる子供に罪はないんですよね。堕ろせばよかったのに、と言うこともオレにはできません。おれだったらやっぱり生ませると思います。

なんか解決の無いテーマを提起してしまったようで申し訳ない。完全な消化不良を巻き起こす内容だと自分でも思います。ただ世の中にはこんな境遇で育っている子もいるということを解ってください。

自分の子供が五体満足で生まれてきただけでも感謝しやがれ。
親には子供を幸せにする義務がある事を知りやがれ。
教育熱心も結構だが思うように育たないからって殴ったりするな。

幼児虐待をするような親ども!!

最近そんなニュース多いのでむかつきました。
【2005/05/19 02:10】 | 真面目 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
<<体位変更でペニス骨折 | ホーム | PS3>>
コメント
 なんとなく早起きしてネット・サーフィンしてたらたどり着きました。非常に非常に複雑な議論で,現時点では,なんとも言えません。382さんの述べている主張は,論理的には矛盾してないと私は思っています。このサイトの管理人の方の主張も十分に説得力のあるものです。
 一読して感じたことは,主張が論理的に矛盾していないけれども,それは,私にとって心から納得のいくものではないというこです。なんとなくですが,主張する際の,視点(論点でもいいのかな?)というか前提のようなもので,色々と主張できるのではないかと思います。従って,こういったあまりにも複雑なテーマについて議論する場合,万人が納得のいく主張は存在しないのではないかと思います。過半数ですら難しいかも・・・
 僕のこの記事を読んだ感想は,単純に,この少女はこれから生きていく上で,想像を絶するような苦労を強いられるのではないかなぁと思いました。学生で経済的に裕福とは言えないので,募金をしようとは思いません。
 だらだら書いてきたのですが,この記事を読んで少なくとも分かったことは,
・議論の際,論理的な首尾一貫性を保持している主張は存在するが,その主張を納得できないような状況が存在する。
・賛否両論が飛び交うような議題は,多くの場合,一定の結論に収束することはない。しかし,その議論から,思想の多様性を認識することができる。また,得られた様々な知見は自分にとって非常に有益である。

 ジュリアナちゃんに対する自分の考えをほとんで述べていません。。。このテーマに対する直接的な主張については,今の僕には手に負えません。それと,本当にぐだぐだですみませんm(__;)m
【2005/08/15 06:01】 URL | 早起きした人 #-[ 編集] | page top↑
返事が遅れてしまった(汗

あまり難しいことはわかりませんが最初の論点の立ち位置で主張も様々に変化するのは当然だしそれが楽しい(この問題の場合表現が不適切ですが)んじゃないんですかね。

論議を見て得られるものはやはりスタンスの違いから生まれる他人と自分の意見の相違点であり議論に加わることはその相違点の差異を埋める擦り合わせ作業だと思うんですよ。
勿論擦り合わせという作業にはなんら意味は無いかも知れませんがそう思うなら加わらなければいいだけの話ですし。

ただ今回加わってみて思ったことはこう言う論議で自分の考えに対して肯定されたときは大変嬉しかったです。
自分の思想と賛同してくれる人がいることを確認できた、って事が論議には擦り合わせとは別の安心感を産む作業としての意味合いもある、と気付かせてくれました。
何だかんだでやっぱ孤立は殆どの人が嫌がるでしょうしね。結果論ですがこのことが今回得られた成果です。

なんか意見が一貫してないダラダラ文章になりましたが俺が思うのはあの論議、更に言えばジュリアナちゃんのおかげで町で募金活動を見たときに募金する、しないは別としてきっと今までよりは「ふと考える時間」が増えると思うんですよ。
きっとこれは俺だけでなくあそこを読んだ多くの人もそうだと思います。
なんか難しい話は別として単純にそこに感謝したいですね。
【2005/08/18 04:58】 URL | DAISUKE #grGQ8zlQ[ 編集] | page top↑
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